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2004年05月31日

くじら

夏といえば「くじら」だ。
冬のくじらも捨てがたいが夏もやっぱり「くじら」だ。

今日は、仕事の帰りに市場があったのでぶらぶらしていると、魚屋の奥さんにやたらと口説かれ、くじらを買ってしまった。所謂さらしくじらというやつである。

飲みかけの焼酎「せいら」と共に味わう。
「せいら」は「くろちゅう」で有名な蔵元のやや上級の黒糖焼酎。割合芳醇で、角の少ない美味しい酒だった。

くじらのほうは、酢味噌がなんだか安っぽかったが、それなりにいけた。
さらしくじらは久しぶりに食べる。

くじらは最近なんだか高級食材と化していて、時折吃驚する。
先日(少し前の話だが)高知の飲み屋でくじらを食べた。
本当に久しぶりに会う旧友が遊びに来ていて、奢ってやったのだが、
これが随分高くついた。

あのときは、やっぱり鰹と鯖とのれそれを食べて、くじらを食べた。
まず、さえずりを食べたのであるが、刺身のような食べ方で、こういう風に食べるのは初めてだったが、とても美味しかった。

そうそう、くじらのベーコンがあって、なんだか懐かしくなって食べたのを覚えている。
このくじらのベーコンだが、子供の頃はどうしても独特の匂いが駄目で食べれなかったのだが、今食べると不思議と美味しい。
僕が小さい頃はビニール袋にどかっと入って随分安く売っていたような気がするが、今食べると少しの量で結構良い値段になる。どちらかといえば安酒の肴の感がするが、まあ、これが世相というものである。

結局・・・何度も言うが相当高くついた。
ちょっと飲み過ぎ・食べ過ぎだったような気もするが。

くじらが高級食と化してしまったのは、紛れも無くワシントン条約のせいだ。
そんなにくじらって希少なのであろうか。イマイチ良くわからないのであるが。

しかし、ふと思う。
例えばアザラシが希少になって、北極圏の人に捕るなといって、通用するだろうか。
それを食べない文化圏の人がどうこう言うべき問題なのだろうか。
地球上のあらゆる生き物が絶滅と繁栄を繰り返し今日まで至る。
種のコントロールまでしようとするのは人間のおごりではないか。
そんな風に思ったりもする。

しかしながらくじらが居なくなるのも寂しいし、なんだか矛盾した気持ちになる・・・。

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2004年05月29日

携帯電話

会社で使っている携帯が終にグレードアップした。

元々使っていた会社から支給された二代目の携帯(写真上)は相当古い。液晶が白黒で音も三和音。人前で電話していると必然的に「古っ!」と言われる。そんな二代目も終に役目を終えた。

今度の携帯(写真下)は、液晶もカラーで、何和音かわからないが音も凄く綺麗で、カメラも付いている。携帯も成長したものだ。三代目はなかなか使い良さそう。折りたたみなのが良い。

電話が掛かってくると結構吃驚するのが、音が凄く綺麗に鳴り過ぎるので、仕事モードに切り替わらない点。今まで仕事の電話は三和音の「G線上のアリア」が鳴っていたので。

まあ、そのうち慣れるだろう。

今日携帯のメモリを新しい形態に移行させてきた。338件もメモリが埋まっていたのには吃驚した。

携帯電話は便利なようで、不便だ。こと仕事に関しては。ふとそんなふうに思った。

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2004年05月24日

FULL HOUSE

ウェス・モンゴメリの名曲。
この曲を聞いて僕はジャズが好きになった。

三拍子のシャッフル感の気持ち良いリズムと哀愁の漂う美しい旋律がたまらない。

僕は20歳の時、この曲に出会った。まだ学生の頃で、京都のバーでバイトをしていた。バーといっても、小ぎれいな女の子を連れて行くようなバーではない。それはもう場末の雰囲気漂う三番バッターのバーだったが、不思議と客層は良かった。
※三番バッターとは、ハシゴして三軒目位に訪れる客がメインの店という意味。

ここで、この曲に出会う。ジャズのレコードが数え切れないほど立ち並ぶその中で、面接の時BGMに流れていたのがこの曲だった。
この店の話はまたにすることにしよう。

面接の帰り道、CDを買って何度も聴いたのを覚えている。
このアルバムはライブのCDで、ところどころ演奏者の唸り声や、観客の熱狂的な歓声がエッセンスとなって、物凄いグルーヴを感じる。
フルハウスというのは満員という意味。ポーカーのそれではないし、アメリカのコメディのそれでもない。ライブハウスが満員になったことからこの曲名となったという。

この曲は今でも色褪せなく何度聴いても飽きない曲である。

マスターは他界して、あの店も無くなってしまった。かつて夜中の一時くらいに「フルハウス」となったあの店のことを懐かしく思う・・・。

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2004年05月18日

帯電体質

帯電体質と言うのは、体に電気が溜まりやすい体質のことである。つまり静電気とかバチバチやりやすい人である。僕は凄く帯電しやすく、冬場などは車から降りてドアに触れるだけで火花が散る。
電気の原理から言うと地面に足を触れずにドアを閉めればこの現象は起こらないのであるが、そんな器用なこと出来る筈が無い。

暖かい季節はそうは起こらないのであるが、やっぱり電気が流れているものの近くにしばらく居るとか、何かそれを誘発するべき行動をとるとやっぱりバチッとくる。

色々なことを考えてみると、ちょっと怖くなることもある。
例えば、埃まみれの部屋とかで同じことが起こったりしたら・・・。
粉塵爆発とかも考えられなくもない。

不思議なことに人間同士でもこれは起こる。
同じ帯電体質の人間同士が帯電した状態で触れ合うと通電する。
会社の事務員の子はどうも僕と同じ体質らしい。
ある日、すれ違いざま偶然手が触れたときバチッとなった。
お互い思わず顔を見合わせたが、既にこの現象はお互いそれぞれどこかで経験しており、またか・・・という鬱とおしさのほか何者でもない。要するにこういう体質の人にとってはさほど珍しいことでもないのである。

先日、飲み屋で友人とひょんなことからこの話になった。
「そんなアホなことあるかいな」
と、笑って済まされたが、実際あるのである。
多分、帯電体質である本人しかわからないのかもしれない。

意外とこういうことが頻繁に起こっていたりする事実を知らない人が多いかもしれない。

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2004年05月16日

蘇州夜曲

僕はこの曲がとても好きで、聴いているとなんだか不思議と気分が和む。
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君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の唄
水の蘇州の 花散る春を
惜しむか柳が すすり泣く

花をうかべて 流れる水の
明日のゆくえは 知らねども
こよい映した ふたりの姿
消えてくれるな いつまでも

髪に飾ろか 接吻しよか
君が手折りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺
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蘇州とは言わずと知れた中国の地名である。この歌にもあるように寒山寺が有名。

「水」「春」「柳」「桃」「月」・・・。

なんだか水墨画の世界に迷い込んだかのような奇妙な気分がする。

西條八十は蘇州に思いを馳せて優美なこの詩を書いたのであろうか?

多分、戦争中の時代背景のなかちょっぴり切なく悲しい恋の別れを詠んだものであると思うが、こんな風に優しく甘い恋がしたいものである。

そんな今日は「蘇州夜曲」

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2004年05月08日

旅終えてよりB面の夏休み

ゴールデンウィークも終焉を遂げてふと振り返ってみると、ノンビリと過ごすことが出来たと思う。
なんだか学生の頃のようなこういう時間はなかなか過ごせない。

ふと学生の頃を思い出す。学生の頃は夏休み、冬休み、春休みとともかく休みが多い。
前にもどこかで触れたことがあったような気がするが、貧乏一人旅をするのがブームで僕もその口だった。
僕の場合は極度なサボり学生であったので、そこにプラスαとなる。その割には割りとサクサク単位をとっていた為、三回生の夏休みから後期にかけて最も長い旅に出ていた。

長い長い旅から帰って来ると、旅先での出来事・出会い・見たもの・聞いたもの・感じたもの・・・それはもう様々な回想に耽る。そして、何かを成し遂げたような不思議な安堵感に浸る。
先に言ったように、休みが長く、時間も多い。旅から帰ってきても時間は沢山ある。


旅終えてよりB面の夏休み(黛まどか)


これは俳句なのであるが、素晴らしい作品だと思う。
最近の子はB面という意味のわからない子も多いのではないか。と、ふと思ったりした。CDは引っ繰り返さなくて良いのだから。

学生は金は無いが、時間はある。今、僕は金は無くてもいいから時間が欲しい。
時間があったら、あったで金が欲しくなるのだろうけれど。

なかなか難しい。要するにコーヒーとクリープ、酒と肴の様な絶妙な関係なのであろう。

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