2004年06月17日音信家に帰ってみると一通の分厚い手紙がポストに入っていた。 差出人は見覚えの無い名前。長崎からだった。 一通り読んで何となくわかった。 実に6年ぶりの音信だった。 学生の頃、僕は旅をしていた。 一人でなんとなく旅に出て、 それは良い出会い、悪い出会い、色々なことがあったが、 手紙には思い出と化した当時の回想文と、近況報告がびっしりと7枚の紙に記されていた。至極当たり障りの無い内容だったのでこの差出人を断定するには少々時間が掛かったが、読み返す内にわかった。理解した途端、走馬灯の様にこの人と過ごした時間が脳裏を巡る。 しかし、一か月程の月日を、この人と同じ夜を迎え同じ朝を過ごしたということは事実であり、それは過ぎ去りし日々の蜜月であり、淡い思い出でもあった。 最後に一言こう書かれてあった。 「○月×日に結婚します。」 良い意味でこの人は胸に残る独身時代の出来事に線引きしたかったのかもしれない。 ふと、記憶の中のパンドラの箱の鍵というか箍が外れそうになるのを感じたがじっと抑える。 僕は何故か昔から、人に良く相談される性質なのであるが、決まって言うのは 先に述べたことと矛盾しているかもしれないが、人間はどうでも良くない記憶を忘れることなんて出来ないのであると思う。 もしかしたら完全に忘却できる人もいるかもしれないし、僕と同じくそういう記憶の保管庫を持っている人もいるだろうし、まったく持ち合わせていない人もいるだろう。 また、人によって出来事に対する記憶の程度は違うので、はっきり言って他人にはわからない。 判断するのは最終的に自分であるし、他人のアドバイスのままに進めるも善し、自分の思うがままに進めるも善しで、答えなんかどこにも無いのである。 僕はなんだか書きたくなったので書いた。 既に終わりを告げてから正に相当の月日が流れ、自分自身、忘れていたと思っていたことがふうっと舞い戻ることもあるのだな、と不思議に思う。なんだかセンチな気分になることもあるのである。 思い出というのは、或る意味良い所と、然程悪くない所のみを切り取って変える素晴らしく合理的な機能というか言い回しである。 多分明日にはいつものように朝が来て、一日が始まるのであろう。明日いつものように始まらなければ明後日には多分来るだろう。 水戸黄門が言うように 兎も角も、手紙の文章が幸せそうだったので良かった。 前を向いていれば割りと良い事があるものなのである。 投稿者 shiba : コメントコメントしてください |