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2004年12月18日

人は死ぬ

253.jpg

今日は妙な空だった。なんだか死を予感させるような黒い空。
なんだか精神的に少しまいってしまった。
多分、何時にも増してやたらに酷かった耳鳴りのせいだろう。
そして忙しい。

夕方、何もする気が起こらなくなり、仕事の合間、車の中で黒い空を見ながら一時間位ぼんやりとしていた。

人はいつか死ぬ。
それは誰にも予想できない。
死ぬということはどういうことだろう。

とりとめもなく考える。

遠い昔に突然死んでしまったある人のことを思い出した。
突然の知らせは何だか性質の悪い冗談のようにしか聞こえなくて悲しいなんて全く思わない。
葬式の最中も骨になってしまったあの人の亡骸も見るにつけてもなんだか他人事だったりする。
一通りの行事が済んで初めて死んだという事実を受け止める。

涙が止め処なく流れていてもたってもいられず、一人夜中飲み歩いてぐてんぐてんになるまで飲んだくれてそれでも酔えない苛立ちを四六時中噛み締める。朝が来て夜を迎え、幾らかの時が過ぎていくにつれだんだんと自分の中で整理されていく。
すっかり整理された時、それは思い出と為る。

人間の記憶は曖昧。それは何時も思うこと。

時が経つにつれだんだんと薄れ、記憶の片隅に微かに残っているだけとなる。
毎月欠かさず墓参りしていたのが一年に一度になり、そして行かなくなった。

もはや夕方にそれを思い出したことさえも曖昧に薄れつつあるという事実をふと考えたりする。

亡くなった人のことをいつまでも忘れないということは凄く大事なことだとは思うけれども、それに縛られて生きるのもどうだろうか。こうした考えは酷く冷酷なような気もする。
自分は冷酷であると思うということは一種の自己弁護であり、忘れかけた記憶について冷静に考える自分の冷酷さもまたひょっとすると悲しい思い出に浸っている自分を第三者的に捕らえた妙な自己陶酔の塊のようにも思える。

人間はとてもちっぽけである。そして自分はその中の部類のさらに小さな人間であることを知っている。

死という言葉はとても重いけれども、それは生まれた以上避けて通れない一つの終着点。
死んだ後、どうなるのか解らないけれども、そんなことはどうでも良い。

いつくるかわからない死について考えている自分はなんだか滑稽である。
ひょっとしたら随分長生きするかもしれないし、明日死ぬかもしれない。

死というものは一つの罪のようにも思う。
今僕が死んだらきっと一人以上は悲しんでくれると思う。
そういう悲しみを齎すのは一つの罪であると考える。
三途の川で親より早く死んだ子供が罰を受けるという話があるが意外と的を得ていると思う。
人間は最後は己一人だと思うが、周りに付随するいろんなことを忘れてはいけないように思う。

全く以って想像つかないが、自分が死ぬ時はどんな感覚なのだろうか。
色々考えていると、眩暈のような渦の中で行ったり来たりする様な妙な感覚になる。

明日死んでも自分的に悔いが残らないようにしたい。とても難しいことであるが。

結局。
考えようが考えまいがこの世に生をうけた以上、必ず死が訪れるということ。
これは摂理。

人は死ぬ。そういうものだ。

投稿者 shiba :

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