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« 冬の感覚 | 邯鄲の夢 | 飽き性 »

2005年11月06日

邯鄲の夢

最近夢の時間がとてつもなく長いような気がする。

自分の見る夢はほとんど日常の延長で、どちらかというと第三者的な立場から見たような感覚はあるものの、それでいて一つ一つの行動は自発的に行っているような気がする。
夢らしいと言うと語弊があるかもしれないが、所謂非日常的な怖い夢であるとか楽しい夢というのは子供の時以来見ていないように思う。
いつからなのだろうか。気にはなるけれどよくわからない。
いつもとてもくだらない夢を見る。
但し、現実のそれとはちょっと違う世界。全くではなくてちょっとだ。
夢の中でも現実世界と同じ人は登場するし、全く固有の人も居る。

夢はかなり鮮明。

不思議なことだが、夢の中で夢の中の世界に居ることを理解していることが多い。
となるとやっぱり夢は夢なのだ。

夢の中では色々と原則がある。


登場人物、及び自分に危害を加えることが出来ない。
高いところから落ちると目が覚める。
摂取は出来るが排泄が出来ない。
登場人物の特徴が不鮮明。
ストーリーが割とダイジェスト的に展開される。


粥が煮える間に見た夢の中で一生を体験したという話がある。
自分の夢には栄枯盛衰の理は無いけれど、その日常的で現実的な部分は近いものもあるような気がする。

時折思うのは、ひょっとすれば夢の中の自分が同じように今現実の自分を夢と解して見ているのでは無いかと言う疑問。
あまり自分は非科学的なことは信用しない性質ではあるが、科学的なことも同様にあまり信用していない。
例えそうだとして何ら不思議ではないと思う。

少々SF的な考え方ではあるが、現在の科学で説明が付く物質構造や時間軸の捉え方とは全く異なる別の世界があるのでは無いかと思ったりする。

まあ、どうでも良いことではあるが。
今夜も夢の中の人生を過ごすことにしよう。


ところで、そろそろカメラを買い換えようかと思っている。

もう露出計が限界みたいだ。
実を言うともう大分前からだが感度が悪くなってきていて、少しずつ補正しながら使ってきた。最早、僕以外には使えないカメラと化してしまっていた。
多分、他人が使うと真っ黒な写真になると思う。
感度が悪くなってきてはいたものの、常に一定のずれを生じていただけなので使用可能だったが、ここにきて感度がばらついてきた。

オートフォーカスは苦手なのでマニュアルフォーカスが良い。ニコンの新しいのにしようかと思っていたのだが、結構高い。
色々調べていると、FM3Aというのと、FM10というのが現行機みたいだ。知らなかったのだがマニュアルフォーカスの現行機はシャッター優先が付いていないらしい。高いほうは絞り優先のみ付いているみたいだ。せめてそれ位は欲しいので結局高いほうのFM3Aになる。ボディだけで七万。うーむ・・・。

僕の今使っているカメラは、機能的に相当変だ。
正直あまり作品を撮るには向いていない。おまけに半分壊れている。
よくこんなので撮っているなと我ながら思う。
でもこれに慣れているので修理して使いたいところだが、もう二十年以上も前のカメラなので修理するのが不可能ということ。仕方が無い。

さて、どうしようか。
中古でまだ使える同等機種を購入するか。
それとも新品を買うか。
悩むところである。

うーむ・・・。

投稿者 shiba :

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